卒業を間近に控えた2月の終わり。御茶ノ水の高田塾の門を叩いた。3つのテーブルにびっしりと埋まった若者たち。奥では、持ち寄った問題を出し合う時事問題の勉強会が開かれていた。1時間後、塾生たちの書いた作文を読んで愕然とした。例えて言うなら、無謀にもセリエAに単身乗り込んだはいいものの、周りのレベルの高さを思い知った瞬間だった。

 大学3年の秋。教職課程に所属しながら、就活一本に絞って頑張ろうと決めた。そして半年後。すがる思いでESを出し、トントン拍子で最終面接を受けた教科書出版も不採用。マスコミって、どんなヤツが受かるんだろう。どんな力が必要なんだろう。

 9月。3ヶ月ぶりに就活を再開し、ベンチャー広告会社をふらっと受け、わけも分からず内定を頂いた。
 そして年が明け、なんとなく参加した新聞社の会社説明会で、若手社員の話した一言。
『時間はかかったし、キツイ仕事ですが、毎日が楽しいです。』
目を輝かせて話すその人の顔を見て、私の決意も固まった。
内定、断ろう。もう何の迷いも無かった。
高田塾では、どんな人が?と思っていたような会社に、4月半ばからどんどん内定していく。そういう塾仲間の就活話を聞き、モチベーションも上がり、充実した毎日を過ごすことが出来た。

 スポーツ紙の最終では残念な結果に終わったものの、役員面接の朝、忙しい合間を縫って高田先生に時間を作っていただき、指導を受けた30分が私を大きく変えてくれた。
 そして、最終へと進めたことでどのレベルの人間が内定を勝ち取るのかという基準を実感できた。落ち込んでいる暇などなかった。

 高田先生、そして塾生の友人たちがいたからこそ、今の私がある。将来への道がある。
ただ、言い尽くせないほどの感謝の念を抱くばかりである。